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2016年4月29日 (金)

大地震から1週間の続き

4月16日(土)
会社に行くのに、嫌な予感がしたのでスーパーカブで行くことにしました。予感的中、道路は渋滞しています。原因はガソリンスタンド渋滞でした。
会社に着くと、すでに所長が来ていました。事務所内は、書類、カタログが床に散乱しています。どの机も、上には電話とパソコンのみ。更に倉庫は・・・棚が倒れてドアが開かん。外から見てもシャッターが曲がっていましたので想像がついてましたが。手の施しようがないので月曜にかたずけることにしました。
 
家に帰ると、断水、停電中。余震も数分おきという、間隔の短さ。自宅からテントと10年ぶりに引きずり出すことにしました。
Photo 隣家は空き家です。
こんなことでテントが役立つとは。隣の家は現在空き家のため、タープは隣家の前まではみ出しています。車はもろ停めさせてもらっています。
結局、テントは手入れをしていましたが、タープはしていなかった為、夕方から降り始めた雨が漏れていました。仕方なく私だけ自宅で寝ることにしました。
4月17日(日)
朝5時に起き、ダッシュでガソリンスタンド探しに。20分後開いている店発見。給油中に私の後ろに列ができ始める。早起きして良かった。
6時半、実家の母より小学校で8時から給水がある情報を得ていたので、私と子供3人でさっさと行く(ネットでは7時だった)。しかし、到着したのは10時頃だった。しかも、一人5Lまでと言われた。私一人で来た場合、5人分をたった5Lなのだろうか。
 
午後から余震の中家のお片付け。台所は奥様、リビングと寝室を私と子供たち。といっても、リビングは中央で食事をするスペースを作っただけ。寝室は落ちてくるものが無いように、棚の上の物は床か隣の部屋へ移動。この夜から家族5人6畳一間に一緒に寝ることにしました。
 
たしか、電気はすぐつながったような気がします。
水道は月曜日にはチョロチョロと出たような気がします。会社(熊本市東区)は水曜日には水道が出始めましたが、工事のためか突然出なくなります。
水が出なくて困るのは、飲料水ではありません。列に辛抱強く並べばいいのです。問題はトイレです。流れない水洗トイレは機能を果たせません。当家は風呂の残り湯を利用しました。下水道管まで破壊されなかったことを幸運に思います。
こんな1週間でしたが、これを書いている今はすでに2週間経ってます。
未だに余震が多すぎて、震度3になれました。人と話していても、「今揺れたよね?」と自信が無く、確認してしまうことも。
 
会社は益城町に近いので、部下も一人、益城町から来る者がいます。寝るときだけは車の中とのこと。
お客さんにも屋根瓦が落ちて雨漏りするから車中泊とか、家が傾いて住めないので、畑のビニールハウスで暮らしているなど、この先どうすればいいのか、どうなるのか解らないという人がいっぱいです。
なにかするべきなのだろうとは思うが、私たちの生活もようやく落ち着きを取り戻して来たばかりです。
 

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2016年4月24日 (日)

大地震から1週間

神戸や東北の震災にしても「対岸の火事」的感覚だったと思い知った地震でした。
80年近く生きてきた父でさえ経験したことは無かったそうです。
私の家は熊本市中央区の東端、被害が酷かった益城町の町役場からは直線で8kmほど。
4月14日(木)
21時過ぎに家族でリビングでテレビを見ていましたら、
ドーンという音と下から突き上げる衝撃(正に地響き)、間髪入れずすごい横寄れ。
空かさず立ち上がり、コミック用の本棚を倒れないように両手両足踏ん張って支えていました。(よくできたと不思議)
停電にはならなくて良かった。食器は流し台の上に置いたものが落ちて割れる程度。
5分後、外に出ると近所の人たちも皆外にいます。この時はまだ、「経験上一番大きい地震」程度の感覚でした(震度5)
ちょうど車を運転していた私の弟は、突然ハンドルが左右に振られ、タイヤが外れたかと思たとのこと。
しかし、ラジオは益城町がやばいことになっているといっている
その後も余震は続き、家に入るのが怖いとのことで、10年ぶりにタープを出して、2軒先の女子供はタープで寝ることに。私はもう余震だと高をくくって家の2階で寝ることに。
4月15日(金)昼
営業で熊本市内を得意先回りをしていると、コンビニに食い物が無い。そりゃそうだ、皆火を使いたくないし、外が安全。しかもこういう時は買い占めるやつがいる。菊池市まで行ったところでおにぎり1個にありつける。
4月15日(金)夜
念のため20L水タンクに水入れて玄関の外に置き、風呂の水は抜かないように指示。後は余震だけ、一応家族全員(5人)2階で寝ようという事に。
4月16日(土)
1時過ぎ、就寝中にドーンという衝撃と揺れ、前よりでかいし長い。
真っ暗の中飛び起き(跳ね起き?)家族3人しがみつく様にしていました(今回は立てない)。「あれ、3人?」嫁と長男(3番目)しかおらん。まだ、揺れる寝室に手探りで入ってきたのは先ず長女(1番上)です。狭いから、隣の自分の部屋で寝てました。次に次女(2番目)。地震で学校が休校なのをいいことに、リビングでテレビ見ていました。一番怖い思いをしたはずです。
長男が「頭になんか当たった。手がヌルヌルする。これ、血じゃね」というので、そこら辺のクッションかなんかで押さえて、皆で外へ。今回は、近所の人たちと話し合って、近くの市のグランドへ避難しました。毛布を配られました。
 
誰かが言いました。「なぜ熊本や。関東が先だろ。」今回、被害にあわれた方は大地震に対する意識はその程度、熊本で大地震なんて考えてもいなかったと思います。私もそのひとりでした。
 
Photo 避難所。
街灯直下は倒れて来たら怖い。
3時ごろ、夜明け頃は寒いなと上着を取りに行くことに。まず、嫁は車で長男を日赤病院に行くことに。次女が車を停められない時のため付き添いで同乗。長女と私は家に突入部隊。
体の弱い人、高齢者は道向かいの県警機動隊の建物へ移動。
5時過ぎに病院組が帰ってきました。長男は頭にガーゼとネット付き。次女曰く、病院内はごった返していたそうで、長男はソファーで、そのまま治療(緑だったからといってます)。うつ伏せになって、頭に麻酔の注射うって、3針縫合。右を向いても左を向いてもそんな感じで、床には血の跡があったそうです。弟が縫われる姿だけを見ていたそうですが、1週間後の現在はそんな体験を自慢話にしています。
6時備蓄用食料から炊き出し。一人一パック支給。
Photo_2
眠くなったので仮眠をとって、昼前に会社を見に行くことにしました。
 
 

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2016年4月23日 (土)

新シャックできたと思ったら

生涯体験することは無いと思っていた震度6の地震のおかげで、シャックをレイアウト変更することができたと思ったら、コンテスト忘れていました。
Photo
以前のシャックは、木製のラックに板付けて机にした粗末なシャックだったので、写真は残っていません。
そんなシャックだったため、強い地震には耐えられるわけもなく、転倒しリグはケーブルでぶら下がっていました。 PCのモニターは壊れ、捨てるはずだったモニターが復活しています。
シャックといっても、免許を受けているリグは机にFT817NDとFT1D、車にFT857DMのため、机の上ではFRG7、ICR75のRXと免許を受けていないFT707Sの方が目立っています。
形が一応整ったので(写真の下はまだ散乱してます)、ICR75のスイッチを入れましたら、
 
あら、オールJAコンテスト、忘れていました。
移動機材一式車に積んでありますので、FT817NDを車に積むだけなのですが
出れそうにないです。

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